2009年9月30日水曜日

ちょきーん!

フェルトで包んだ赤・黄・黒の丸いマグネットが3つあって、かなり昔に文房具屋さんで「こじゃれてて可愛い♪」と一目ぼれして買ったものですが(けっこう高かった気がする・・・)、今では子どもの最高のおもちゃになっています。

洗濯機の側面につけて「ぴったんこ」遊びから始まり、「ぐるんぐるん」と言いながら動かして遊び、3つ並べて「だんご」にして喜び、3つを集めて「さんかく!」になることに気づいたり・・・。


○○ ←こんなふうにくっつけて並べると三角に見える

ちなみに上に○2つだと、「うーたん」と言います。(かーちゃんはミッキーマウスかと思ったけど)

まだ洗面に投げ込んで濡らしちゃうこともありますが、「これは布だからカビが生えちゃうよ。かび生えたら捨てるからね。」言い聞かせて少しはわかるようになったかな。フェルトなので両面ともくっつくのもいいみたいです。子どものおもちゃというのは、こんなにシンプルなものでよいのだなあと感嘆します。

今日は「どーなつ」と言いながら食べるマネをしたり、かーちゃんに「はいどうぞー」とくれたり。
(昨年100均のマグネット(会社のホワイトボードとかにつけるようなやつ)を見つけたときは、口に丸ごと入れて親やベビーサイン教室の先生を慌てさせましたが・・・)

そして・・・、「三角」を作ってから「ちょきーん!」と言いながら、くっついた○を指で分けて離しているのです。児童館などにある、おままごとのオモチャ(※)ではやらなかったこの遊びを、ただのマル○に見出したことにちょっと感動しました。。。本人もこの発見がうれしかったようで、ただでさえ大きい声を、より大きな声で「ちょきーん!」と言っていました。

そして、おもちゃの果物は切るときに包丁のオモチャがあることが前提になるわけですが、児童館で親がそれをやって見せても、あまりマネしなかったのです。そういう、道具を使って遊ぶということをまだ本人が求めてないのかなと、ようやく思い至りました。おばあちゃんにハサミのオモチャを買ってもらったけど、しばらくは待機になりそうです。

※野菜や果物が半分になっていて、マジックテープでくっついたり離れたりするオモチャ。おもちゃの包丁で切って遊ぶ。ぶどうがお気に入りで、持ったらかなりのこと離さない・・・ 
・・・ので、買うかどうか迷っていました。おままごとって女の子のオモチャだし・・・(とーちゃんはそういうの結構気にする)本人が楽しんで遊んでいるの に、男の子のもの女の子のものって親が決めるのもナンセンスだし、、、でもおままごとセットってお皿とか食材とか、あれこれ増えて場所とりそうだな~・・・と迷っていましたが、今日この様子を見て、買わずにこのまま様子を見ようって思いました。

月齢よりも早い段階で数字を覚えたり、色やかたちがわかることで、「○○がわかるの、すごいねえ」と言われることも多い息子。早くから知識が増えることに不安がありましたが、インターネットで以下の文章を読んで、少し安心しました。


以下引用
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確かに、勉強とは、学校で良い成績をとるためにするもの
良い学歴を得るためにするもの

という考えのもとで、勉強を捉えるとしたら、
幼児期に算数や国語を学ぶことは何の意味もないことだと思います。
そうした目的の先取り学習は
子どもの意欲を削いでいくからです。

でも、私は、

勉強は、誰かに自慢するためにするものとも、
良い学校に合格するためにするものとも考えていない

ので、その時々の子どもの能力が
ちょうど楽しくてワクワクするレベルの学びに触れさせることは、
いつでもとてもよいものだと感じています。

(中略)

何歳だから何を~という壁を設けると、それぞれが個性的な子どもたちは、
能力が高くても、ゆっくりでも、それを体感できません。
その子が挑戦してみたいと思うものの中で、全力をつくさせて
達成感を味あわせることは、
後々、勉強嫌いの子を作ったりしないことは、子どもたちと接していてよくわかります。どんな易しそうな学習も、成績のために学ぶのでなく
好奇心からそれを眺めるのなら、どんどん深まっていく面白さを含んでいるからです。
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子どもが何かできるようになって、「できた!うれしい!」って感じているときや、お手伝いをしたい!自分から何かがんばってみたい!と思ってチャレンジするとき、

そうした子どもの喜びを、
大人もうれしく感じて『褒める』という……

親子で響きあうような、褒めるは、何度してもとてもよいものだと思います。

私が問題を感じるのは、
どこか現代的なエゴで汚された『褒める』なのです。

★うちの子、あの子のようにできないな。もっと褒めたら、できるようになるかな?

という意図から生まれる
子どもから発するものがないのに
大人から一方的に降り注ぐ『褒める』

★子どもへの過干渉と過保護のすき間を埋め続ける『褒める』
(褒めることで、リモコンスイッチをにぎっている感じです)

★成長過程のひとつを、大人から見ると賢そうに見えるからという理由で
過度に褒めて、子どもに偏った価値観を植えつける『褒める』

★大人が描く理想に沿うものにだけオーバーに反応する『褒める』

などです。
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引用元 虹色教室通信


今日は「ちょきーん!」遊びがあまりにも楽しそうだったので、思わず「そんなこと見つけたの!あんたって遊びの天才だねえ!」と抱きしめて言った(褒めた?)のですが、本人もうれしそうでした。

外で「○○がわかるの、すごいねえ」「男の子なのに、もうこんなに沢山喋るの、早いですね」と言われるたびに、このまま進んで褒められることが目的になったりしないだろうか?と褒め方について考えていたので、褒め方の部分についてはなるほどーと得心したし、この件についての不安は殆どなくなりました。
(あとは、人に「すごいね」と言われたときに子ども自慢にならず、かつ謙遜しすぎない返事をどうするかです。これが一番難しい・・・。)

本人が楽しんでこの世界のいろいろなことを吸収していくのを見守りたいです。

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